「あなたには言っていなかったけど、眠れない日がつづいていたのよ。」
ある日、母から打ち明けられたその言葉が、すべての始まりでした。 大好きだった母の笑顔が消え、言葉が減っていく姿を隣で見ながら、私は「認知症」を覚悟しました。
しかし、2年経った今、母は薬を卒業し、毎日笑顔で自分らしく過ごしています。 これは、母が歩んできた「絶望から回復への2年間の軌跡」の記録です。
薬が少しずつ奪っていった、母らしさ
不眠の不安から、少しずつ増えていった睡眠薬。 薬の量が増え、種類が変わるにつれ、母の様子は明らかに変わっていきました。
- 日中もぼーっとした時間が増える
- 歌を歌わなくなる
- 鍋を焦がす
- 会話が噛み合わなくなる
- 笑顔が消える
娘として、本当に辛い日々でした。病院を転々としても「グレーゾーン」と言われ、出口のないトンネルの中にいるような感覚。でも、母自身が一番、自分の変化に怯え、苦しんでいたのだと思います。
高齢者の専門外来通院と2年間の伴走
2年前、私たちは新しくできた高齢者の専門外来に転院しました。 そこで主治医と始めたのは、無理のないペースでの「減薬」と「生活の再構築」です。
私が付き添いの中で大切にしたのは、以下の4つでした。
- 事実をそのまま伝えること(主観だけでなく、生活の様子を医師に共有する)
- 「母の幸せ」を最優先に考えること
- 無理のないペースを守ること
- 母の不安を否定せず、受け入れること
「薬を減らす=我慢」ではなく、母は「薬がへっても大丈夫」「なくても大丈夫かもしれない」という気持ち2年かけて少しずつ積み上げていきました。
社会とのつながりが母を変えた。選んだのは「カーブス」
薬を減らすのと並行して大切だったのが、家族以外との「つながり」でした。 アクティブだった母も、いつの間にか引きこもりがちになっていました。
「もう一度、外の世界へ」。そう思って様々な施設を見学し、母が自ら「ここならできるかも」と選んだのが、女性専用フィットネスの「カーブス」でした。
最初はバスに乗るのも心配でしたが、通い始めて2年。今では母の口から、こんな嬉しい言葉が飛び出します。
「下の名前で○○さんって呼んでくれるんよ」 「毎月の計測があるから、食べるものも気をつけてるの」
名前で呼ばれ、尊重されること。毎日行く場所があり、ちょっとした目標があること。 その喜びが、母の心と体に活力を与えてくれているのだと思います。
2年の努力と軌跡。「薬がなくても寝れるの」
そして先日、母が晴れやかな顔で言いました。 「最近、薬を飲まなくても寝れるのよ」
2年前、会話もままならず笑顔を失っていた母と、またこうして笑い合える日が来るなんて、当時は想像もできませんでした。 母が自分の足で一歩ずつ歩んできた結果である「断薬」。私はそんな母を、心から誇りに思います。
まとめ:親の笑顔は、何よりの宝物
高齢期は「支えられる側」になる時期だと思っていました。 でも、母を見ていて気づいたのは、いくつになっても「尊重され、自分らしくあり続ける時期」なのだということです。
もし、かつての私のように、親の変調に戸惑い、不安な日々を過ごしている方がいたら、どうか諦めないでください。
- 適切な医療(専門外来)に相談すること
- 無理のないペースで生活を整えること
- 社会とのつながり(運動など)を持つこと
一つ一つの歩みは小さくても、それは確かな「希望」に繋がっています。 母にとっての「カーブス」のような場所が、あなたのお母様にとっても新しい一歩になるかもしれません。

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