今日、何を選びましたか?

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「選べる」ということの中に、自由がある

朝、クローゼットの前に立つ。

今日は何を着ようか。
天気を見て、気分を見て、なんとなく手を伸ばす。

そのなんでもない瞬間に、
実はとても大切なことが隠れています。

「選べない」日々が教えてくれること

刑務所の刑期を終えて出所するとき、受刑者は私服に着替えます。

たったそれだけのことが何年もできなかった。

受刑中は、服を選べません。

刑務作業も、食事も、起きる時間も、眠る時間も、
すべてのことが決められています。

自分で決められることが、ほとんどない日々。

その中にいて初めて、
「選べること」の意味、大きさが見えてくるのだと思います。

私たちは「選んでいない」ふりをする

私たちの毎日は違います。

何を食べるか。
今日どこへ行くか。
誰と話すか。

小さなことから大きなことまで、
自分で選んで生きています。

誰かに言われたことでも、それを受け入れるかどうか、実行するかどうか、
最後は自分が決めています。

でも、ジブンガキメテイル、それをつい忘れてしまう。

そして
「どうでもいい」と投げやりに選んだり、
うまくいかないことを誰かのせいにしてしまったり。

でもね、

「どうでもいい服」を選んだのも、自分。
人のせいにすることを決めているのも、自分。

そう気づいたとき、
少しドキッとしませんか。

「選ぶこと」には、責任がついてくる

なぜ私たちは、
自分が選んでいることに気づかないふりをするのでしょう。

たぶん、選ぶことには責任がついてくるから。

自分で選んだなら、
その結果も自分のものになる。

それが重くて、
無意識に「選んでいない」という感覚を作り出してしまうのかもしれません。

でも——

その「責任から逃げる」という選択も、
また自分がしていることです。

選べることは、自由だということ

刑務所での仕事は、
その当たり前をそっと照らし出してくれます。

選べない場所にいた人が、
出所して私服に手を通す、その瞬間の感覚、、
自分になるという感覚でしょうか。

選べることは、自由だということ。

そしてその自由は、
丁寧に使うほど、
自分の人生が自分のものになっていく。

今日のあなたへ

今日、クローゼットの前で、
少しだけ立ち止まってみてください。

あなたがその一枚を選べること。
それ自体が、あなたの自由の証拠です。

今日も、あなたの「選択」を応援しています。

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